山の分校の記録を見て

2月4日 快晴

 

今日は立春でしたね、日中は18℃なり暖かったです。

しかし、気圧は、1012ヘクトパスカルと低く痺れがきついです。

 

今日は気温も高いので、インコ「モア」に水浴びをさせました。

何度も水に入り、ずぶぬれで頭に止まるので閉口しました。

 

山の分校の記録

 

昨日、Eテレで60年前の映像を録画して見ました。

栃木県の栗山村(今の日光市)の分校で31人が通う分校の記録です。

60年前と言うと私が6才位の頃で、年代が同じような子供たちと、木造の校舎が

映っていて懐かしくなりました。

 

医者も雑貨屋もない山間にあり、老夫婦の先生がいて、教室には黒板とチョーク、

机と教科書しかありません。

絵を描けば、黒と茶色の山の絵ばかりで、口を開こうとせず、積極性のない子供

が多いのです。

 

先生は考えて子供達を町の本校に連れていくことにしました。

街に行くと始めてみるものばかりで驚きです。

 

本校の授業にはテレビが使われており、それを見た生徒の一人が、分校に帰って

黒板にテレビが欲しいと書きました。

 

それを見て、先生は村の教育委員に掛け合いますが、テレビの値段は先生の初任給の

半年分になるので、いい返事がもらえません。

あきらめきれずに、町の放送局に貸してもらえるよう何度も頼み、ようやくNHKの

巡回テレビを借りることが出来ます。

 

テレビの授業が開始されると、子供達は目つきが変わり、積極的に勉強をする

ようになります。

身近にあるものを採取したり、テレビで見たものを作ったり研究熱心になりました。

知らないものを目で見るのは大事ですね。

 

当時のテレビ

 

あの頃、私が生まれた部落にもテレビは数件しかなく、夕方相撲を見に寄せて

貰ったことがよくありました。

毎日10人くらいが見ていて大騒ぎでした。

学校での話題もテレビが一番でした。

 

数年後には我が家にもテレビが来て、家族で見たことが思い出されました。