蛸、焼きました

2月11日 晴れ

 

晴れましたが冷えていて痺れも相変わらずです。

 

酒のつまみ

 

酒のつまみに蛸を焼いてみました。

 

焼き網に蛸をのせ、弱めの中火で片面を4分位焼き、裏返して4分位焼きます。

焼けたら、ハチミツと醤油を混ぜたタレをまんべんなく、刷毛で塗り少し焼きます。

ハチミツと醤油は、1対2位にしました。

焼けたら冷まして、薄切りにすれば完成です。

味が染みて結構いけますよ。

 

難点は、タレが垂れることです。必ず受け皿つきの焼き網を使って下さい。

次回のために洗うこともお勧めします。

 

対策

タレを塗るときにアルミ箔を敷くのもいいかもしれません。

妻はグリルが良いと言っていました。 

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バン・ドゥーシュ(銭湯)

2月8日 晴れ

 

昨日は快晴で暖かったのですが、気圧が1007hpaと低く指先の痺れと痛みで手袋を

した手から、茶碗を落としそうになりました。

今日は気圧が1018hpaで少し楽です。

 

皇居から一番近い銭湯

 

NHKの新日本紀行で紹介された銭湯を紹介します。

名前は「バン・ドゥ―シュ」マンションの半地下にあり、30年ほど前に建築された

そうです。

名前の謂れは、フランス語で「バン」は風呂、ドゥーシュ」はシャワーと言う意味

です。

元在った銭湯の跡地に、マンションを建築する際、銭湯を残して欲しいと住民の

陳情が多く、役所も仕方がなく条件にして作られたようです。

 

銭湯のおかみさんは、建築工事を請け負った建築会社の社長夫人でした。

開店と同時に地元の高齢者が2人やってきて、家の風呂には入ら無いと言って

ました。

 

地元住民が減り存続が怪しくなった頃、東京マラソンの為に、皇居を走る市民

ランナーが増え、着替え等で客足も伸び、今に至っているそうです。

 

25年前から来ているサラリーマンは、毎週金曜日の仕事帰りに来て、ロッカーで

着替え、30分走って風呂を浴び帰って行きました。

おかみさんと和気あいあいの会話が微笑ましかったです。

 

日本一のオフィス街にこんなオアシスがあるとは知りませんでした。

 

私も独身の頃、銭湯に行きましたが、風呂は広く、天井が高いので気持ちよく入れた

事を思い出しました。

永く残るといいですね。

山の分校の記録を見て

2月4日 快晴

 

今日は立春でしたね、日中は18℃なり暖かったです。

しかし、気圧は、1012ヘクトパスカルと低く痺れがきついです。

 

今日は気温も高いので、インコ「モア」に水浴びをさせました。

何度も水に入り、ずぶぬれで頭に止まるので閉口しました。

 

山の分校の記録

 

昨日、Eテレで60年前の映像を録画して見ました。

栃木県の栗山村(今の日光市)の分校で31人が通う分校の記録です。

60年前と言うと私が6才位の頃で、年代が同じような子供たちと、木造の校舎が

映っていて懐かしくなりました。

 

医者も雑貨屋もない山間にあり、老夫婦の先生がいて、教室には黒板とチョーク、

机と教科書しかありません。

絵を描けば、黒と茶色の山の絵ばかりで、口を開こうとせず、積極性のない子供

が多いのです。

 

先生は考えて子供達を町の本校に連れていくことにしました。

街に行くと始めてみるものばかりで驚きです。

 

本校の授業にはテレビが使われており、それを見た生徒の一人が、分校に帰って

黒板にテレビが欲しいと書きました。

 

それを見て、先生は村の教育委員に掛け合いますが、テレビの値段は先生の初任給の

半年分になるので、いい返事がもらえません。

あきらめきれずに、町の放送局に貸してもらえるよう何度も頼み、ようやくNHKの

巡回テレビを借りることが出来ます。

 

テレビの授業が開始されると、子供達は目つきが変わり、積極的に勉強をする

ようになります。

身近にあるものを採取したり、テレビで見たものを作ったり研究熱心になりました。

知らないものを目で見るのは大事ですね。

 

当時のテレビ

 

あの頃、私が生まれた部落にもテレビは数件しかなく、夕方相撲を見に寄せて

貰ったことがよくありました。

毎日10人くらいが見ていて大騒ぎでした。

学校での話題もテレビが一番でした。

 

数年後には我が家にもテレビが来て、家族で見たことが思い出されました。